毎年この時期になると必ず何枚もの喪中はがきが届きますね。
毎度のことながら、あの寂しげな背景に書かれた文面を見るのは辛いものがあります。
以前は私と面識のない親族が亡くなったという知らせが多かったのですが、ここ数年は当人の伴侶や兄弟というケースがあって改めてわが身の置かれた立場を実感する次第です。
そうした喪中はがきを読んでいるうちに思ったのですが、喪中はがきを受け取ったからといって、一律に年賀状を書かないという習慣は考え直してもいいのではないでしょうか?
喪中はがきを出すと当然のことながら年始に届く年賀状の数は極端に減ってしまいますよね。
近親者を亡くしてただでさえ寂しい思いをしているところへ、さらに輪をかけるように寂しいお正月になってしまうわけです。
本当に親しい仲なのであれば、そんな寂しい思いをしている相手には心のこもった年賀状(年始挨拶状)で励ますのも意味があることだと思うのです。
もちろん、文面には気を遣わなければいけませんが、受け取る側でも心が休まるのではないでしょうか?
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MASAKOさん (水曜日, 03 12月 2014 09:38)
その通りですね〜。心のこもった お手紙は 何度も何度も繰り返して読み、そして 大切に 保管しておく事が出来ますものね‼️
喪中の時などは 特に 賀状でなく 他の文書を差し上げる事 大賛成で〜す
PO (水曜日, 03 12月 2014 09:48)
ご賛同いただきありがとうございます。
今回は何名かの知人に送ってみようかと思っています。
タマオヤジ (木曜日, 04 12月 2014 11:19)
オヤジも大賛成。 無事正月を健康で迎えられた事に感謝し、お互い元気なお手紙の文面交換をもっとしませう。
PO (木曜日, 04 12月 2014 13:38)
さすがタマオヤジさん!
人生経験の豊富さが窺い知れるお言葉ですね。
ただ、「~しませう。」というのは明治・大正に遣われた言い回しのような気がするのですが?