突然ですが、あの2千円札は一体何処へ行ったんでしょうか?
2000年7月に発行された直後には、たまに見かけましたが、以降まったく目にすることがなくなりました。
ほぼ同価値の20US$はアメリカでは一番流通している紙幣なのに、日本ではなぜか流通しませんでしたね?
日本には、それこそ無数に設置されているすべての自販機に対応できないというのが、一番の理由らしいのですが、果たしてそうでしょうか?
普通の成人が2千円札1枚しか持ってないということは考えられませんし、他の通貨を使えば済むことですからね。
私には素直に信じられません。
それはそれとして、そもそも2千円札はどうして作られたのですかね?
紙幣の種類を増やすには、相当の理由があったはずです。
そこで、モノ好きな私は2千円札誕生の背景を調べてみることにしました。
すると、私たちには知らなかった国家の威信を懸けた一大事業だったことが分りました。
当時、そして今でもそうですが中国は尖閣諸島と同じく沖縄も中国の領土として主張していることはご承知かと思います。
そこで時の小渕首相は2000年に日本で開催されたサミットの会場を、東京や大阪ではなくあえて沖縄に指定しました。
各国の首脳が集まるサミットを沖縄で開催すること、それは紛れもなく沖縄が日本の領土であることを世界に示したことになります。
それを認めるのが嫌で中国は沖縄サミットに参加しなかったのです。
さらに小渕首相は沖縄のシンボルである『守礼の門』をデザインした2千円札をサミットと同時に作ることで明確に「沖縄は日本の領土だ!」ということを世界に認識させたのです。
でも、残念ながら小渕首相はサミットに出席することも無く、2千円札の発行前に突然亡くなってしまいました。
そんな、小渕首相の沖縄に対する熱き思いが込められた2千円札なら1枚ぐらい取っておけばよかったですねぇ!
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