近視というハンディキャップ

毎日パソコンと睨めっこをしているせいで目が疲れてしまい、そのせいでしょうね?

年々視力が落ちてきてしまいました。

そもそも私は小学生の頃から近視の悩みを抱えていました。

当時、我が家には電気が通っていませんでしたので、薄暗いランプの灯りの下で勉強せざるを得ませんでした。いまおもえば、そのときから既に視力が弱まり始めていたのでしょうね?

以来、私は「近視」という重いハンディキャップを背負いながら生きてきました。

たかだか「近視」というだけで、これまでに幾多という自分の夢と将来の希望を閉ざされてきたか枚挙にいとまがありません。

もっとも印象的なのは、小さいころからの憧れであった戦闘機のパイロットになれなかったことですね。

昭和○○年3月 防衛大学を首席で卒業した私は引く手あまたのの中、迷うことなく航空自衛隊に入隊し、国土防衛本部戦闘機部隊への配属を申請しました。

そこでも私は優秀な成績で合格したのですが、最後の視力検査で無念にも不合格となってしまったのです。

自衛隊も私というかけがえのない人材を軽はずみに失ったものです。

もし、私が合格していれば今頃は「尖閣諸島」に日本国旗が翻っていたに違いありません。

その他にも視力が弱かったために、たいそうな金額をメガネ代に費やしてしまいました。

私の場合、たかがメガネと言っても、その辺のメガネスーパーなどにある安物と違って、一流ブランドのレンズとフレームを使用しますから、一度作ると数十万円の費用が掛かってしまうのです。

今までに作ったメガネの数は100本はくだらないかと思います。

すると、約数千万円がメガネ代として飛んで行ってしまったことになります。

ところが、先日の事です、ある眼鏡屋さんから、昨年作ったシャネルのサングラスの代金48万円が未払いだと言って請求書が届いたのです。

いまさら、こんなお金は都合できないし、どうしたものだろうと思い悩んでいる時、モコの低い唸り声で目が覚めました。